一野御宮



一野御宮 法の舟山 渡るらん みつ呂の牛も 今日はこゑつゝ【原文】
一之宮 法の舟山 渡るらん 三つ呂の牛も 今日はこえつゝ
(いちのみやのりのふなやまわたるらんみつみやのうしもきょうはこえつつ)

今日はいよいよ船山を越えて、仰ぎあこがれていた飛騨一宮へお参りできる。きっと霊場へ案内するという下呂の牛も一緒に越えてきたのだろう。下呂には上呂、中呂、下呂の三地区があるが下呂市の一部である。
下呂方面と高山を結ぶ道は、古来の位山街道のほかに、近世に入って、金森長近が、益田川上流の小坂・渚・久々野から宮峠を越える河内路(現在の国道41号筋)を開通させ、本街道にしました。<引用した和歌は出来る限り原文のままとしましたが、常用漢字、現代カナ遣いを用い、解釈は多くの研究資料を参考にしました>


参考:
ー位山街道ー位山官道(くらいやまかんどう)
 飛騨の匠達が、遠く奈良や京の都へ都造営のための過酷な労働に堪え、通った峠道であり、女工哀史の「野麦峠」が女の峠であれば、「位山峠」は男の峠として、今もところどころに石畳が残り、当時の面影を今も偲ばせています。
道41号線を萩原町上呂の浅水大橋を渡ります。そして飛騨川の支流の山之口川沿いの県道98号線を山之口に行きます。ここから位山峠、無数河(久々野町)、刈安峠(宮村)から水無神社付近で飛騨街道に合流するのが位山街道です。この道は江戸時代重要な脇街道でありました。飛騨を治めていた金森長近が天正14年(1586)上呂から宮村間の飛騨街道を開削する前の東山道飛騨支路のルートでありました。


0 件のコメント:

コメントを投稿