白ら山や



白ら山や 洲原立花 引結ふ 三世の仏の 玉かとそおもふ【原文】
白ら山や 洲原立花 引き結ぶ 三世の仏の 玉かとぞ思う
(しらやまやすはらたちばなひきむすふみよのほとけのたまかとそおもふ)

白山神社前宮洲原神社(美濃市)の神主は、西神頭家(にしごとうけ)が代々務めています。円空は白山に度々登っており、32歳の時、西神頭家を訪れています。長良川筋の須原・立花(美濃市)から下田・粥川(美並村:郡上市は、美濃馬場長滝寺(白鳥町)を経て白山へ参拝する白山回廊であり、円空は若い時からこの地に留まって多くの仏像・神像を刻んでいます。白山から降り下る雪を、三世の玉と見て詠んだのでしょう。<引用した和歌は出来る限り原文のままとしましたが、常用漢字、現代カナ遣いを用い、解釈は多くの研究資料を参考にしました>

参考:
ー白山信仰とはー
白山信仰は、加賀国、越前国、美濃国(現石川県、福井県、岐阜県)にまたがる白山に関わる山岳信仰です。古代より白山は「命をつなぐ親神様」として、水神や農業神として、山そのものを神体とする原始的な山岳信仰の対象となり、白山を水源とする九頭竜川、手取川、長良川流域を中心に崇められていました。奈良時代になると修験者が信仰対象の山岳を修験の霊山として日本各地で開山するようになり、白山においても、泰澄が登頂して開山が行われ、原始的だった白山信仰は修験道として体系化されて、今日一般に認識されている「白山信仰」が成立することとなりまし。

白山信仰の基とされる泰澄は、最初に平泉寺白山神社、白山比咩神社、長滝白山神社の順番で神社を建立し、それぞれの神社から禅定(頂の白山比咩神社奥宮)までのルートを開拓したと言われます。各神社は禅定の起点であり、馬場と呼びます。平泉寺白山神社は越前番場、白山比咩神社は白山馬場、長滝白山神社は美濃馬場と言う名を持ち、白山三馬場と呼ばれています。 


美濃馬場とはおよそ1300年前に泰澄さんによって広められた白山信仰の美濃側の巡礼の入り口の場のことです。(白山回廊)かつては上り千人下り千人宿に千人といわれるほどの賑わいだったそうです。道の駅 ”白山文化の里 長滝” の観光案内コーナーと道の駅 清流の里しろとり敷地内の観光協会を主な拠点として発信していきます。 白山文化博物館(http://shirotori-gujo.com/html/kanko/hakubutukan.htm)やみのばんばの拠点約1300年の由緒ある白山長滝神社など(もとと伝わる古代からの信仰対象磐座はもっと遥かに古いです)歩いてすぐ近くにあります。

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